1−1 調査対象

調査対象の概要を図1−1−1および表1−1−1に示す。

能代断層(22)は能代平野の西部に位置し、ほぼ南北方向に能代砂丘地帯・沖積平野および八郎潟北岸へと連続する。「新編 日本の活断層(1991)」によれば、能代断層の活動度は「A〜B」級で、総延長は24kmより長い可能性が大きいとされている。また、沖積面下に伏在する数条の断層群からなり、断層上盤側地域では段丘面が幅1〜1.5kmの撓曲変形を受けているとされている。

断層面の存在は地下資源関連の探査や試掘井などで確認されている。粟田(1988)は、本断層による垂直変位は5万分の1地質図幅「能代(1984)」および同「森岳(1985)」の区分による天徳寺層直下の上部七座凝灰岩部層で2,700m、女川層の垂直総変位量は3,500mとしている。また、化石年代による編年から求められる2.6Ma以降の垂直変位速度は1.0m/1,000年、活動開始時期は3.4Maとしている。さらに、本地域に形成された海成段丘の垂直変異量は40m以上であり、指標となる広域テフラのToya(洞爺火山灰;110ka、ただし粟田(1988)では100 ka)が砂丘砂の基底部付近に見られる(大沢,1985)ことから、およそ10万年前以降の垂直変位速度はおよそ0.4m/1,000年としている。

能代断層による撓曲崖には逆向きの副次断層とされる「高野野断層」、「盤断層」、および「逆川断層」が分布する。また、能代断層の東方6〜7kmには中沢撓曲が南北に連続し、森岳断層の第四紀後期の活動を示すとされている(大沢他,1985)。

能代断層は1694年(元禄7年)6月19日の能代地震の起震断層とされ、その震央位置は能代市東方の道地付近、地震の規模を表すマグニチュードは7.0と推定されている(活断層研究会,1991)。このとき八郎潟北岸では隆起が発生している(粟田,1985)。Awata・Kakimi(1985)は、現大潟村付近に17〜20世紀に発生した被害地震の震源分布の空白域があり、近い将来被害地震の発生が予見されるとした。この空白域は能代断層の南側に位置するため能代断層の延長や活動度の評価が防災上重要である。

図1−1−1 調査位置案内図

表1−1−1 調査地域内の活断層分布(「新編日本の活断層(1991)・弘前」に対応)

なお、「新編 日本の活断層(1991)」では、図面に記載されている断層番号が誤って表に記載されているので、ここでは修正して記載した。

元文献では上記表のうち小手萩断層と逆川断層を複数の断層に細分し記載している。

※ 確実度:活断層研究会による活断層の存在の確かさを示す。

T:断層であることが確実。

U:活断層であると推定されるもの。

V:活断層の可能性があるもの。

※ 活動度:松田(1975)による活断層の変位速度のランク。平均速度(m/1,000年)で表す。

   A:10>S≧1、 B:1>S≧0.1、 C:0.1>S≧0.01