(2)断層変位地形

断層運動に起因すると認定される変位地形は,山地と平野あるいは丘陵と平野の境界に沿って認められるほか山地にも認められる。それらは実体鏡下での明瞭さの程度及び地表踏査結果から「明瞭な変位地形」・「やや不明瞭な変位地形」・「不明瞭な変位地形」に区分して,付図1−1−1付図1−1−2付図1−1−3付図1−1−4付図1−1−5付図1−1−6付図1−1−7付図1−1−8の段丘面区分図に表現した。1896年の陸羽地震に伴う地震断層については,前述の3区分とは区別して「地震断層」として図示した。

「明瞭な変位地形」は北部の千畑町から六郷町にかけて,特に千屋丘陵に多く認められ,1896年の陸羽地震に伴う「地震断層」もこの地域に存在する。 「やや不明瞭な変位地形」は中部の横手市金沢,杉沢から市街地にかけて認められる。

「不明瞭な変位地形」は横手市市街地より南部で多く認められる。

このように,変位地形は北部で明瞭であり,南部に向かって不明瞭となる傾向が見てとれる。

主要な断層変位地形について地域毎に以下に述べる。

(1)千屋丘陵地域

@千屋断層(千屋地震断層)

本地震断層は,1896年の陸羽地震の際,千屋丘陵西縁に沿って出現したもので,活断層研究会(1991)の千屋地震断層(千畑断層)に相当する。

丘陵側の赤倉川及び丸子川沿いの最低位段丘6(T6)より高位の段丘が丘陵縁で相対的に高い位置で途切れ,平野側へ連続しておらない。また,丘陵を刻む小沢の谷底低地面が平野側に形成された小扇状地の扇頂面より相対的に高く,連続しない。以上のことから,東側上がりの変位として認定できる。

調査地内では,千畑町の荒井から小森・花岡を経て竹原までの区間,丘陵西縁に沿って追跡でき,竹原から善知鳥坂付近では不明瞭となる。更に南外河原から丸子川を横切り対岸の六郷町関田まで再び追跡が可能であり,それより南方は農免道路建設に伴い,現在低断層崖は不明となっているが,南端部の蛇沢では低断層崖が認められる。

Aその他の断層

[ 変位地形@ ]

活断層研究会(1991)において白岩・六郷断層群のうち「m[太平山西]」と記載されている変位地形である。千屋丘陵と西側の山地を画する変位地形であり,鞍部や山地側三角末端面の線上配列として認定されている。千畑町の大平山西方から田ノ沢を経て善知鳥までは北北東−南南西方向にほぼ明瞭に追跡される。長さ約2.5km・山地高度の不連続から西落ちの断層が想定される。

[ 変位地形@' ]

千畑町の仏沢溜池から六郷町の四ッ屋東方まで認められ,ほぼ南北方向に2条が追跡される。仏沢溜池南では明瞭であるが,南方の四ッ屋東方までは不明瞭となる。また,北方へは善知鳥川で不明となる。長さ約2.3km・山地高度の不連続から西落ちの断層が想定される。

[ 変位地形A ]

活断層研究会(1991)において,白岩・六郷断層群のうち「c[大阪南東]」と記載されている変位地形である。@の西側に位置し,千畑町大阪の南東から田ノ沢西まで,現小沢を横断する北東〜南西方向の直線的な溝(沢)地形として明瞭に追跡される。丘陵の山地高度から東落ちの断層が想定される。

[ 変位地形B ]

活断層研究会(1991)において白岩・六郷断層群のうち「h[相長根]」と記載されている変位地形である。変位地形は,東傾斜した中位段丘1の北部に,ほぼ南北方向・長さ約1km・西側落ちの変位として平行に3条に認められ,いずれも明瞭である。この中位段丘1は東端で逆の西傾斜となっており,変換線に向斜(面)軸が想定される。これらのことから,これら3条の変位地形は基盤の向斜褶曲形成に伴う地層のフレキシュラル・スリップによる段丘面変位と推定される。

[ 変位地形C ]

活断層研究会(1991)において白岩・六郷断層群のうち「h[相長根]」と記載されている変位地形の南部である。千屋丘陵のほぼ中央にあって,相長根を通り,ほぼ南北方向・長さ約1kmで,東に傾斜する中位段丘2を西側落ちに変位させている。段丘面の傾斜と変位地形の方向長さが前述の変位地形Bと同類であることから,同様に基盤の向斜褶曲に伴う地層のフレキシュラル・スリップによる段丘面変位と推定される。

[ 変位地形D ]

活断層研究会(1991)において白岩・六郷断層群のうち「g[上村東]」と記載されている変位地形である。千屋丘陵のほぼ中央にあって,相長根の東から西の沢上流にかけて,ほぼ北東−南西方向・長さ約2kmであり,これより西側に位置する東傾斜の中位段丘2をより東に急傾斜させている。段丘面のヒンジ形態から東落ちの撓曲あるいは断層が想定される。

[ 変位地形E ]

千屋丘陵南西の天狗山西方に,ほぼ南北方向・長さ約1.3kmで西落ちの丘陵山稜の高度不連続として明瞭に認められる。千屋地震断層(千畑断層)に近接・平行していることから,その派生断層の可能性がある。

[ 変位地形F ]

活断層研究会(1991)において白岩・六郷断層群の「i[東外川原]」と記載されている変位地形である。千屋丘陵の南部に位置し,西外川原の北方から東外川原〜七滝を経て四ッ屋まで,ほぼ北西−南東方向・長さ約2.5kmで追跡できる。西外川原では中位段丘2及び最低位段丘6を西落ちに変位させている。

(2)六郷町〜横手市北部(金沢本町・杉沢)地域

@金沢断層

活断層研究会(1991)における金沢断層の記載は,丘陵及び山地と平野の境界に沿って,六郷町六郷東根から横手市街地に至る延長約10km・南北方向,山地高度不連続及び段丘面を切る低断層崖の存在から東側隆起で確実度TないしUの活断層としている。臼田ほか(1976)は「1/5万;六郷図幅」において,六郷町荒川西方から四天地を経て,横手市金沢本町まで,金沢断層を図示し,その南方延長について追跡してないものの,御所野,中野を通り横手盆地の東限を画しているとしている。

地形地質調査の結果,六郷町六郷東根から横手市金沢本町を通り,国道沿いに金沢中野,睦成を経て横手市街地まで,ほぼ北北東−南南西方向〜北−南方向長さ約11kmにわたって断続的に傾斜変換線・低断層崖・傾動・変動凸地形が追跡される。

北半部の六郷町六郷東根から横手市金沢本町までは,六郷東根においては山地斜面の傾斜変換,四天地及び石神付近においては山地を刻む小沢に平野側に形成された小扇状地の扇頂面に連続する谷底低地面より相対的に高い段丘状小平坦面が浸食されず残存している。このため,山地と平野(小扇状地)の境界付近に東側上がりの変位地形が認められる。石神付近では約1.5〜2mの低断層崖が認められる。変位地形としてはやや不明瞭である。また,仙南村茨嶋においては,残丘の南南西延長上に比高約1.5mの低断層崖の可能性のある段差地形が認められる。なお,東側の山地には南西−北東方向に鞍部や三角末端面など急崖地形の直線状の並びとしてやや不明瞭な段差地形が認められる。これは,東上がりの山地高度の不連続となっており,断層の存在が推定されが,組織地形(ケスタ地形)の可能性もある。

南半部の横手市金沢本町から睦成までは,概ね国道の西側に沿って位置する。明瞭な変位地形が追跡でき,それより南方延長は横手市街地での最低位段丘6(T6)の高まりとして認められる。

断層と判断される事象について,以下にまとめる。

a.金沢本町付近においては,廚川沿いの中位段丘2(T2)及び低位段丘3(T3)が丘陵の高標高域に位置し,山地縁で途切れており平野側へ連続していない。また,低位段丘4(T4)相当面(旧扇頂部)が急傾斜し,北北東〜南南西方向で直線的に最低位段丘6(T6)相当面に接していることから,これを変位地形と認識した。

b.金沢中野付近において,山地西縁沿いに鞍部及び急傾斜面(断層崖地形)やや不明瞭ながらほぼ直線状に南北方向に追跡されるほか,

○前面の低位段丘5相当面の西縁沿いに面が平野側に緩く傾斜

○西端部が数mの高低差を有し,ほぼ直線状に南北方向に連続

等の状況から変位地形が認識される。段丘面内にも国道に沿った西落ちの小さな段差が認められる。

c.南延長部にあたる蛭藻沼の西側では,国道13号の東側に沿って分布する中位段丘1及び2が背斜状に変形するとともに,その西側の低位段丘5(T5)が丸みをもって西に傾斜(撓曲)し,最低位段丘6(T6)に没している。また,低位段丘5(T5)に比高約1.5mの低断層崖が認められることなどから,国道西側に沿って明瞭に変位地形が認識される。

d.御所野から睦成にかけては,低位段丘5(T5)及び最低位段丘6(T6)が国 道西側で低くなっており,国道の西側に沿って変位地形が認識される。

e.睦成より南方延長は,横手川の現河道となり不明となる。しかし,さらに南方延長上の横手市中央町から鍛冶町にかけて,最低位段丘6(T6)の微高地がほぼ南北方向に連続てしおり,本調査ではこの微高地を隆起変位地形の可能性があると判断する。また,国道13号沿いに北〜南に断続的に連続する細長い丘陵では,図1−2−2−1に示すような断層が認められる。

図1−2−2−1 国道13号沿いに認められる古い金沢断層

金沢断層は,前述したように,より高位の段丘が西側の山地縁で途切れ,西側の平野側へ連続しないこと,相対的に高位の面に背斜状の変形や西落ちの撓曲が西側に認められることなどの地形的特徴を有しており,近傍で確認したT1面を切る断層等から東側隆起・東傾斜の逆断層と判断される。金沢断層は,山地・丘陵と平野の境界に位置し,変位地形の特徴も千屋断層と類似し,構造的にも千屋断層と同様なものと考えられる。

A杉沢断層

活断層研究会(1991)は,杉沢断層について,横手市蛭藻沼付近から鶴谷地を経て横手市街地に至る延長約6.5kmとしている。また,北北東−南南西ないし北北西−南南東に,段丘面をを切る低断層崖と丘陵面の高度不連続線から西側隆起の確実度TないしUの活断層としている。位置は金沢断層の東側約200〜500mにほぼ並行して分布する。横手市蛭藻沼から杉沢を経て鶴谷地まで,ほぼ北−南方向・長さ約2.5kmにわたって段丘の東傾斜や逆向き低断層崖の断続として比較的明瞭に認定・追跡される。

蛭藻沼付近においては,西岸で中位段丘2(T2),低位段丘3(T3)が東に傾いているのに対し,東岸では低位段丘3(T3)が西に傾いていることから,沼をほぼ南北に縦断する向斜構造(向斜軸の存在)が推定される。向斜軸南方延長の杉沢においては,中位段丘1(T1)が逆向き低断層崖をなし,鶴谷地では中位段丘2(T2)が2条の逆向き低断層崖をなし,いずれも山(東)側が低下している。この杉沢断層は,金沢断層と幅約200〜500mで併走し,センスは互いに逆であり,その間の段丘面が隆起し,背斜状に変形している。このことより杉沢断層は,構造的には金沢断層(東傾斜の逆断層)と対をなすバックスラストと考えられる。

(3)横手市北部(杉沢)〜稲川町地域

@大森山断層

活断層研究会(1991)は,大森山断層について,横手市上台の北から横手市街地南部の安田・寺内・増田町真人付近を経て稲川町梺付近に至る断層としている。

山地あるいは丘陵と平野の境界に沿って位置し,延長約24km・北−南方向・山地高度不連続から東側隆起で,確実度Uの活断層と評価している。なお,変位基準面・年代・変位量・変位速度・活動度の記述はない。

臼田ほか(1977)は,「1/5万;横手図幅」において,同位置に断層を図示していないが,臼田ほか(1981)「1/5万;稲庭図幅」においては,それとほぼ同位置に長さ約6kmの稲庭断層(推定断層)を図示している。

地形地質調査の結果,大局的には活断層研究会(1991)の大森山断層とほぼ同位置・同方向に変位地形が認められるが,一連ではなく,横手市街地及び稲川町大倉付近から同町東福寺西方間で不明瞭となって途切れ,3本の断層変位地形となる(付図1−1−1付図1−1−2付図1−1−3付図1−1−4付図1−1−5付図1−1−6付図1−1−7付図1−1−8)。

すなわち,大森山断層は横手市上台から明永沼にかけての大森山断層(O−1)から,横手市街地南部の安田から中里・寺内・平鹿町馬鞍・増田町真人・熊淵を経て稲川町大倉までの大森山断層(O−2)と,それ以南の稲川町東福寺西方から川連・下宿西・大沢・新城を経て梺までの大森山断層(O−3)の,雁行した3条の断層変位地形として認定される。

そして,それらは熊淵付近の低位段丘5面あるいは新期扇状地1・2等を変位させていないと判断される。

大森山断層を3区分し,以下に述べる。

[ 大森山断層(O−1)(横手市杉沢〜明永沼)]

活断層研究会(1991)によると,明永沼付近のリニアメント(大森山断層の北端部)を含む断層変位地形として,確実度Vの断層を図示している。横手市上台北方から上台・見入野を経て明永沼西岸まで,ほぼ南−北方向・長さ約4kmにわたって,やや不明瞭ながら追跡される。北半部の上台から見入野までは,上台北方の山地で直線谷・鞍部を認め,吉沢川以南では山地と丘陵の地形変換線となり不明瞭となる。山地高度及び段丘面,扇状地面の西側低下から西側落ちの断層が推定される。

なお,横手市街地にも大森山断層は連続するとしているが,変位地形は認められない。

[ 大森山断層(O−2)(横手市南部〜増田町地域)]

活断層研究会(1991)に示された大森山断層の北半部に概ね合致し,横手市市街地南部の安田から中里・寺内・平鹿町馬鞍・増田町真人・大和沢を経て稲川町大倉まで,ほぼ北−南方向・長さ約12.5kmにわたって断続して追跡される。直線谷,鞍部あるいは三角末端面の断続と山地高度の西側低下として認定されるが,途中途切れることもあり全体として不明瞭である。

なお,約500m西方には,横手市大屋寺内の大屋沼から平鹿町馬鞍・明沢・増田町亀田を経て同沢口で合流する断層変位地形が位置し,大森断層(0−2)に含めている。この断層変位地形は,ほぼ北−南方向・長さ約5.5kmにわたって追跡される。北部の大屋沼から平鹿町馬鞍間では山地と丘陵の直線的な境界が認められ,それ以南では丘陵西端の緩傾斜変換線と丘陵高度の西側低下として認定されるが,全体として不明瞭である。

[ 大森山断層(O−3)(稲川町地域)]

活断層研究会(1991)に示された大森山断層の南半部に概ね合致し,稲川町東福寺西方から川連・下宿の西方・大沢・新城を経て稲川町梺まで,ほぼ北−南方向・長さ約9kmにわたって追跡される。東福寺西方から川連間では直線谷・鞍部あるいは三角末端面の断続と山地高度の西側低下として認定される他,川連以南では山地と扇状地との境界がほぼ直線状に認められ,山地側に三角末端面が位置することから認定される。いずれも西側落ちの断層が推定されるが,南端は南南西方向に湾曲し不明瞭となる。

一方,地質構造的に大森山断層を見た場合,北半部の大森山断層(O−2)は,付図1−5−1付図1−5−2の走向線図にも示したように,概ね新第三系の横手複背斜(臼田ほか,1977)構造の西翼部にあたり,大森山断層(O−2)直下において活断層露頭は確認されていない。しかし,南部の平鹿町明沢西方から増田町真人にかけては,大森山断層(O−2)の東側に真昼川層が分布し,西側に山内層が分布しており,前者がN−S・80゚W,後者が逆傾斜26゚〜74゚Eとなっており,構造ギャップが存在することから,両層の境界付近の山内層に著しいV字型向斜が想定される。近傍の道路のり面(平鹿町亀田東方付近)においては図1−2−2−2のスケッチ図及び露頭写真に示したように,層理面スリップ型断層やN−S性・W傾斜の断層も認められる。これらのことから,両層の境界は断層となっていることが推定される。

図1−2−2−2 平鹿町亀田東方広域農道法面の断層スケッチ

また,南半部の大森山断層(O−3)は,概ね新第三系の沖ノ沢背斜(臼田ほか,1981)構造の西翼部にあたり,大森山断層(O−3)直下においても活断層露頭は確認出来なかった。臼田ほか(1981)によれば,皆瀬川に近い稲川町清水小屋のWG−2のボーリングデータにおいて深度148.10m以浅に相野々層・山内層が認められ東に傾斜していることから,相野々層・山内層は大森山断層(O−3)の西側の平野下に少なくとも深度148.10m以深に存在することが推定される。一方,大森山断層(O−3)の東側の山地にはそれらより下位の真昼川層が山地稜線(最高約704m)まで分布することから,相野々層・山内層基底は大森山断層(O−3)を境に約800m以上のギャップを有することになる。この分布ギャップを断層による変位と考え,臼田ほか(1981)と同様に大森山断層(O−3)の認められる山地西縁に沿って断層を想定した。

以上のことから大森山断層(O−3)についてまとめると,位置的には新第三系の背斜構造の西翼部に相当し,地形から推定される変位方向(山側隆起)とも調和している。南部においては,構造ギャップから断層も推定され,新第三系の褶曲構造とそれに伴い形成された断層を反映したものと考えられる。また,大森山断層(O−2)の活動時期は第四紀以前にほぼ終息していたと考えられ,増田町熊淵付近の低位段丘5面や新期扇状地1及び2面を変位させていないことから,少なくともそれらの形成以降活動していないと判断される。

Aその他

調査範囲外であったことから,現地調査による確認は実施していないものの,空中写真判読結果によると,大森山断層(0−1)の西方約3〜5qに位置する大雄村上猪岡から平鹿町樋ノ口にかけての延長約4.5qの丘陵には,西縁を区切るほぼ南北方向に延びた低断層崖及び変動凸地形等の変位地形が認められる。