(3)石川県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

石川県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。なお、石川県とその周辺で発生した主な被害地震は、図6−49のとおりである。

 石川県の地形をみると、能登半島には丘陵地が広がり、日本海沿岸に沿っては平野が延びている。また、県南部には、両白山地がそびえている。図6−50は、石川県の地形と主要な活断層を示したものである。能登半島には、その丘陵地を断ち切るように邑知潟断層帯が南西−北東方向に延び、この断層帯に境された低地が地形的にも明瞭である。これらの活断層は、逆断層であり、活動度はB級である。能登半島には、このほか長さ数km程度の活断層が比較的数多く分布している。金沢市付近では、丘陵地と平野の境目を森本・富樫断層帯が北北東−南南西方向に延びている。この活断層も活動度B級の逆断層である。県内の両白山地には、明瞭な活断層は知られていないが、この山地の東部(富山、岐阜県内)には庄川断層帯がある。

 歴史の資料で知られている主な浅い被害地震は、金沢市から加賀市付近にかけての地域や能登半島、さらにはそれら地域の日本海沖合いで発生してきた。例えば、金沢市付近では、1799年のM6.0の地震(金沢地震とも呼ばれる)で、現在の金沢市を中心に死者や家屋倒壊などの被害が生じた。また、この時に地盤の液状化現象が多数発生したようであり、その痕跡も見つかっている{54}。森本・富樫断層帯のうち、森本断層(卯辰山の西から北北東へのびる活断層)の南西端付近において被害が著しかったことなどから、この地震は、森本断層で発生したとも考えられている{55}。小松市周辺では、1725年の地震(M6)や1815年の地震(M6)により、小松城の石垣などに被害が生じた。明治以降では、1930年に、加賀市大聖寺付近でM6.3の地震が発生し、震源域付近で被害が生じた。さらに、1952年にその沖合いで、大聖寺沖地震(M6.5)が発生し、県下全体で死者7名や家屋半壊などの被害{56}が生じた。

 能登半島周辺では、1729年にM6.6〜7の地震が発生し、能登半島先端付近で死者、家屋損壊や山崩れなどの被害が生じた。明治以降では、1892年のM6.4、1896年のM5.7、1933年のM6.0といった被害地震が発生している。特に、1933年の地震では、県内鹿島郡で死者3名、家屋倒壊などの被害{57}が生じた。最近では、1993年に能登半島沖で、M6.6の地震が発生し、珠洲市を中心に被害が生じた。なお、この地震で輪島の験潮場などにおいて小津波が観測された(輪島では最大波高26cm{58})。

 また、1948年の福井地震(M7.1)や1891年の濃尾地震(M8.0)などのように周辺の地域などで発生した地震によっても県内において被害を受けることがある。特に、福井地震では、江沼郡や小松市などを中心に死者41名、家屋全壊802などの被害{59}が生じた。また、能登半島では、日本海東縁部の地震より、津波被害を受けることがある。1833年の山形県沖の地震(M7 1/2程度)に伴う津波で、死者や家屋の流出などの被害が生じたという記録がある。

 石川県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、紀伊半島沖から遠州灘、駿河湾が震源域になった場合、地震動による被害を受けている。1944年の東南海地震(M7.9)では、県内で家屋全壊などの被害が生じた。

なお、石川県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図6−51に示す。

表6−3 石川県に被害を及ぼした主な地震