(1)樫原断層

付図6−2−1付図6−2−2付図6−3−1付図6−3−2参照)

樫原断層についての調査結果及び考察されること以下に記し,表1−4図1−8にまとめる。

@樫原断層の延長距離は京都市左京区嵐山(桂川右岸)付近から向日市向日町付近までの約8kmである。当断層は南北方向に延び,相対的に西側地塊の隆起,東側地塊の沈降を生じさせた逆断層である。

AP波反射法探査を京都市西京区松室(松尾測線),樫原(樫原測線)の2測線で行った結果,大阪層群中に幅150m(松尾測線)〜200m(樫原測線)の傾斜帯が検出され,樫原測線ではこの傾斜帯を挟んで基盤の中・古生層上面が垂直変位にして推定約220mほど,相対的に西側隆起していることが分かった。

傾斜帯東側の地層はほぼ水平に連続的に分布を示していること,傾斜帯中の東部には断層運動に伴う地層の撓みはあるがずれはないこと,地層に顕著なずれを与えた断層運動は傾斜帯中の西部またはその西側にあることが分かった。

B京都市西京区松尾では,P波反射法探査で判明した傾斜帯中の東部〜中央部に位置する区間でボーリング調査を行った。その結果,探査結果同様に地層に大きなずれはないが,約4,000年前(縄文時代)頃以降に約1.5mの垂直変位を伴う断層運動の可能性が指摘された。

中世(?)の土器片を含有する表土基底にも約1.3〜1.5mの垂直変位を伴う段差が認められた。

C京都市西京区樫原,御陵で行ったトレンチ調査では,断層面そのものを確認することはできなかった。しかし,活断層の存在を否定したものではない。

樫原についてみると,大正11年京都市都市計画図によると,低位段丘面上の低崖は樫原トレンチを実施した農地(子供農園)内の低崖以外にも,子供農園東側の水路沿いや水路・農道を挟んで東側の農地の東端部にも存在し,樫原断層がいずれかの低崖付近に存在する可能性がある。

また,御陵についてみると,2箇所のトレンチで活断層は見られなかったが,リニアメントが第1トレンチ東部からその東側の市道沿いに読みとれたこと,第1トレンチと第2トレンチ間で地層が大きく異なっていること,第2トレンチでは低位段丘堆積物の中で約12,000年前の地層以深の層理面および不整合面に走向・傾斜方向の変化が見られたことから,樫原断層が2箇所のトレンチ間の市道沿いに通り,低位段丘形成中かつ約12,000年以前に活動した可能性考えられる。

D樫原断層の活動度を次のように算定してみた。

樫原測線でのP波反射法探査による基盤の中・古生層上面の垂直変位量は約220mであった。大阪層群が堆積する前の基盤上面が平坦であったと仮定すると,大阪層群が堆積し始めた約100万年前(植村,1990ほか)から現在の間に約220mほど基盤上面がずれたわけになる。すなわち,220m/1,000,000年=0.22m/1,000年で,活動度はB級となる。

次に,松尾でのボーリング調査で見つかった地層のずれは,約4,000年の間に垂直変位量にして約1.5mがあったとすると1.5m/4,000年=0.375m/1,000年となり,反射法の場合と同様にB級となる。

E本調査では,樫原断層の最終活動時期や活動履歴を特定することはできなかった。しかし,本調査で実施した松尾におけるボーリング調査で確認されたNo.1−No.4ボーリング間の表土基底面や沖積層基底の段差箇所や御陵の2箇所のトレンチ箇所を結ぶようにトレンチ調査を実施すれば,さらに樫原断層の実体を明らかにすることができると思われる。