(2)地質各説

@ 先阿蘇火山岩類

阿蘇カルデラ麓緩斜面部と船野山に広く分布するほか、益城町中尾付近にも小規模に分布する。

阿蘇カルデラ麓緩斜面では暗灰色の斜長石の目立つ輝石安山岩の溶岩で、赤色化したクリンカー状の所が多い。また、板状節理の発達した所も多く見られる。岩戸沢上流の 露頭ではAso−2火砕流堆積物に直接覆われ、その直下の安山岩は板状節理が密に発達する。

船野山のものは、淡灰色〜灰色で斜長石が斑晶の目立つ輝石安山岩であり、船野山林道付近では溶岩として分布する。船野山北麓の配水池付近の露頭ではAso−1火砕流堆積物に直接ないし薄い褐色ロームを介し覆われる。また、その北方60m付近の露頭では強風 化した安山岩の上に10〜20cmの礫混りロームを挟みAso−2火砕流堆積物が覆っている。

本層は小野(1965)により新第三紀末から第四紀前半に噴出したものとされているが、この報告書では、船野山火山の原形が保たれていることから第四紀前半に噴出したものとした。

A 津森層

益城町下陳の金山川沿いに小規模に分布する。

本層は紫灰色の泥岩を主とし、泥岩は固結度が高い。本層は砂の薄層を多く挟み、一部では細礫層を挟む。また、細かい平行ラミナが発達する。これらの層相から湖成層と判断される(写真2−1−1)。

金山川右岸の露頭では基盤岩の水越層の緑色片岩にアバットしている。また、上部は拳大の亜角礫が多い新期の段丘堆積物に覆われる。

露頭での最大層厚は8m以上であるが、基盤岩の分布から層厚は20m程度と推定される。

B 下陳礫層

益城町の赤井川沿い、金山川沿い、西原村井ノ口南方などに広く分布する。

礫は亜角〜亜円礫の中礫〜大礫よりなり、ほとんどが安山岩礫である。礫の一部は風化礫である。非常に良く締まっている。

本層の露頭は金山川両岸の標高120m付近まで確認される。Aso−1火砕流堆積物以上の上部層との関係が確認される露頭はない。

益城町杉堂の木山川の峡谷部入口付近の左岸側露頭では、本礫層の下に角礫を多数含む凝灰質粘土が分布する。西原村井ノ口付近の礫層の下部層も同様な層相である。この両地点で、本礫層の上にAso−1火砕流堆積物の溶結凝灰岩が水平に分布する。

金山川右岸の急崖では、本層が水越層の緑色片岩を覆っている。

畑中川では、左ノ目神社下の河床付近と柿迫集落より上流に分布し、層相は金山川の礫層と類似するが、風化礫がやや多い。畑中川の左岸側露頭では、礫層の中に厚さ50cm程度のローム層を水平に挟む。

赤井川では、内寺集落の河道の曲流部の河床に露頭があり、その上流の山腹に連続し分布すると推定される。川内田集落の右岸の町道脇に水越層を覆う本層の礫層が認められる。当地域でも上部層と直接接する露頭は認められない。

西原村井ノ口の南側の山地では風化礫の多い本層が分布する。Aso−1火砕流堆積物以上の地層と直接接しないが、近接した露頭ではAso−1火砕流堆積物が高い標高に分布するため、Aso−1火砕流堆積物の下位の地層と判断した。

下陳礫層の厚さは、金山川付近で50m程度で、赤井川の右岸では20m以下となり、南西側や下流側で薄くなる傾向がある。

C Aso−1火砕流堆積物

西原村医王寺付近、益城町杉堂南方から赤井川流域にかけて広く分布する。

大部分は強溶結の溶結凝灰岩(写真2−1−2)である。基底付近や上部の非溶結部は黒灰色を呈するガラス質、細粒〜中粒の火山灰よりなり、一般的に岩片を多く含む。

西原村医王寺付近では多量の異質岩片を含む強溶結凝灰岩である。露頭では上下の地層との関係を直接確認できない。

益城町杉堂の木山川と金山川に挟まれる山地は、Aso−1火砕流堆積物の溶結凝灰岩の露頭や転石が多く認められる。木山川の左岸の峡谷部入り口付近の露頭では、下陳礫層の上に強溶結凝灰岩が分布し、基底の1m程度は暗灰色の非溶結部となっている。また、この露頭の上部は風化による赤色化が見られる。

赤井川右岸、益城町福原の福原権現神社付近の露頭では、強溶結の溶結凝灰岩の下に弱〜非溶結の溶結凝灰岩が2m以上の厚さで分布する。

金山川左岸の台地の益城町中尾の露頭では、強溶結部内に玉石状に弱溶結部が散在する。

船野山東北麓の露頭では、溶結凝灰岩の上部に非溶結部分が2m程度の厚さで分布し、さらに、その上は不規則に軽石の密集した風化粘土層が分布する。

以上のようにAso−1火砕流堆積物は溶結凝灰岩よりなり、下位の下陳礫層を覆う。

砥川の露頭では、Aso−1火砕流堆積物と推定される火砕流堆積物の上に1.5mの礫層を挟み砥川溶岩に覆われる。

本層の平坦面を堆積上面とすると、木山川〜金山川間では最大層厚100m以下となり、他の地域の地質分布から、最大層厚50m程度と考えられる。

本火砕流堆積物は岡口(1978)が26±7.6×10年と35.8±7.2×10年を提示し、松本ら(1991)は26.6±1.4×10年を提案している。この報告書では30万年として取り扱う。

D Aso−1・2間堆積物

益城町平田、同町下砥川等に小規模に分布する。

益城町平田では、福田町民グランドの北東側の小沢の沢床に露頭し、層厚2m以上の褐色含礫シルト層よりなる。

益城町下砥川では、Aso−1火砕流堆積物と砥川溶岩に挟まれて分布し、層厚1.5mで大礫サイズの円〜亜円礫よりなる(写真2−1−3)。

なお、平田のボーリング調査のH−2孔ではAso−1火砕流堆積物とAso−2火砕流堆積物に挟まれる約1.1mの砂礫層として確認される。

E 赤井火山噴出物(火砕丘堆積物・砥川溶岩)

火砕丘堆積物と砥川溶岩は益城町赤井の小山(赤井城跡)を給源とする。

砥川溶岩は益城町福原、同町下砥川等に小規模に分布する。しかし、渡辺(1979)によれば沖積低地の地下に広く分布し、今回の調査でも田中地区のボーリング孔でその分布が確認された。

本溶岩は黒色〜黒灰色の玄武岩質輝石安山岩であり、斑晶に乏しく塊状で緻密なものが多く、一部には小規模な発泡が見られる(写真2−1−4)。

砥川集落の露頭では、砥川溶岩の下に礫層(円〜亜円礫で厚さ1.5m)を介し、軽石を欠き異質岩片を含むAso−1火砕流堆積物を覆っている。

露頭が少なく、本層と上部層と直接の関係を確認する露頭はない。

火砕丘堆積物は、赤井の丘陵地および船野山の北側斜面に分布する。

本堆積物は主にスコリア、火山弾等よりなり赤色を呈する(写真2−1−5)。火口丘付近の露頭では、赤褐色を呈し、玄武岩質の火山弾や人頭大のスコリアの風化していないものが多い。船野山の露頭では不明瞭なラミナを伴う所が多い。露頭の上部は風化し、ローム状を呈する。

本堆積物と上位および下位の地層と直接接する露頭はない。

本火砕丘の噴出物に松本ら(1991)は14.8±0.7×104年を提案している。この報告書では15万年とした。

F Aso−2火砕流堆積物

大津町白川沿い〜西原村大切畑、西原村医王寺〜益城町杉堂および益城町上陳〜同町福原等に広く分布する。

本火砕流堆積物は主部と最下部(Aso−2R)に2分される。

Aso−2Rは流理構造を示す強溶結凝灰岩であり(写真2−1−6)、久木野村の白川左岸沿い、西原村秋田等に見られる。

秋田の露頭は県道脇に位置し、Aso−1火砕流堆積物の溶結凝灰岩の上に厚さ80cmの赤褐色のスコリア層を挟み約60cmの強溶結凝灰岩が分布し、その直上は弱溶結の溶結凝灰岩が6m以上の厚さで分布する。この赤褐色スコリア層の上部からがAso−2火砕流堆積物に相当する。

Aso−2火砕流堆積物の主部は非溶結〜弱溶結状態である。本層は黒色の細粒〜中粒スコリア流堆積物であり、スコリアは小さな発泡の多い無斑晶なものであり(写真2−1−7)、異質岩片は少ない。また、表層部は赤色に風化することが多い。

西原村の左岸側では各露頭とも暗赤褐色〜赤褐色で非溶結である。しかし、木山川と布田川間は非〜弱溶結凝灰岩よりなる。西原村大切畑より北東方の山麓斜面のAso−2火砕流堆積物は非〜弱溶結である。杉堂より北西地域では、概ね黒色ないし暗灰色の非〜弱溶結凝灰岩であり、斑晶は極めて少ない。

益城町三竹の農業用ため池脇の露頭では、Aso−2火砕流堆積物に礫混じりの褐色ローム(厚さ1m)を介しAso−3火砕流堆積物が5度程度北側に傾いて分布する。

断層露頭の項で詳述するが、本火砕流堆積物とAso−3火砕流堆積物は益城町平田の m381露頭で断層で接し、同露頭から東側150m付近の露頭m364では本堆積物内で2条の断層で小さな地溝が形成され、L1面堆積物がAso−2火砕流堆積物を覆っている。

Aso−2火砕流堆積物の露頭は多いが、断層以外に上位、下位の地層に直接接する所はほとんどない。

最大層厚は分布から150m以上であると推定される。

本火砕流堆積物は岡口(1978)が15.4±6.0×10年を提示し、松本ら(1991)は14.1± 0.5×10年を提案している。この報告書では赤井火砕丘噴出物を15万年としたので、 Aso−2火砕流堆積物はやや新しい14万年として取り扱う。

G Aso−2・3間堆積物

西原村大切畑北方、同村布田東方、益城町平田付近に小規模に分布する。

大切畑北方では、桑鶴集落の南の葛目川河床近くの露頭で中〜大礫の角礫〜亜角礫の礫層が認められ、その右岸側の緩斜面の表層は凝灰質シルト層が分布する。礫層はAso−2火砕流堆積物の岩片よりなり、風化礫が多い。礫層の厚さは1.5m以上、シルト層は1.5m以上の厚さを有する。

布田の布田川峡谷部の高遊原溶岩の急崖の下部に小規模なAso−3火砕流堆積物があり、その下にラミナを伴う礫混りシルト層と薄い砂層の互層が厚さ2.5m以上で分布する。この堆積物もAso−2・3間堆積物に含めた。

益城町平田の小沢では、Aso−3火砕流堆積物の直下に厚さ1m以上の褐色ローム、砂・シルト互層や礫・シルト互層等が分布する。この堆積物も本層に含めた。この堆積物の層厚はAso−2、Aso−3火砕流堆積物の分布から5m以上と考えられる。

なお、平田地区のボーリング調査結果では本堆積物を欠く。田中地区のボーリングで本層は5m程度の厚さの砂礫層であった。

本層はAso−3火砕流堆積物以上の堆積物に覆われる(写真2−1−8)。

H 岩屑流堆積物

西原村扇ノ坂付近の緩斜面に分布する。

角礫を多く含む褐色の砂〜シルトからなり、Aso−2火砕流堆積物のメガブロックや降下火山灰のブロックが取り込まれている(写真2−1−9)。阿蘇カルデラの外輪山の一部が崩壊して流下した堆積物と考えられる。

扇ノ坂の県道脇の沢の斜面でAso−2火砕流堆積物を不整合に覆う本堆積物が確認される。また、Aso−3・4間の降下軽石層以上の火砕流堆積物に覆われる。Aso−3火砕流堆積物との関係は不明である。

最大層厚は30m以下である。

I Aso−3火砕流堆積物

西原村葛目付近、医王寺付近、益城町杉堂付近、下陳〜福原にかけて広く分布する。

黒色〜黒灰色の細粒〜中粒火山灰中に多量の黒色スコリア、異質岩片、軽石が含まれる(写真2−1−10)。スコリアは斜長石、輝石の斑晶を多く含む。本層の最下部は軽石に富み、最上部はガラス質の火山灰堆積物となる。

葛目付近では、ローム層と軽石を多数含むAso−4火砕流堆積物やラミナの発達する小礫状の軽石層の下に風化したAso−3火砕流堆積物が分布する。

木山川上流の医王寺の露頭では黒色スコリア、異質岩片の多いAso−3火砕流堆積物が分布する。

また、杉堂付近の山地では赤色のAso−2火砕流堆積物に緩く傾斜した厚さ50cmのロームを挟みAso−3火砕流堆積物が分布する。このAso−3火砕流堆積物は異質岩片に富む。

益城町柿迫の北の山地では、岩片と黒色スコリアを含む厚さ2m以上のAso−3火砕流堆積物が分布し、上部はラミナの発達する岩片の多い二次堆積物ないしサージ堆積物が1m以下の厚さで分布する。このサージ堆積物もAso−3火砕流堆積物に含めた。この地点ではAso−2・3間堆積物である礫混りの赤褐〜褐色のロームを覆っている。

益城町三竹付近では、布田川断層の北西側の台地にAso−3火砕流堆積物が分布し、岩片の多いスコリアの点在する風化した淡褐色のスコリア流堆積物よりなる。この地区の平田堤脇の農道ではAso−4火砕流堆積物に覆われる。また、近傍のため池脇の露頭では礫混り褐色ローム(厚さ1m)を介し赤褐色のAso−2火砕流堆積物を覆う。

益城町平田でも、Aso−3火砕流堆積物は異質岩片や黒色スコリアの多いスコリア流堆積物であり、福田町民グランド裏の露頭では、Aso−3火砕流堆積物の上に柿迫付近と同じラミナのあるサージ堆積物ないし二次堆積物が2m程度の厚さで認められる。

なお、平田地区のボーリングによればAso−4火砕流堆積物の下に10m程度、田中地区では2〜4mの厚さで地下深部に分布することが確認されている。

本堆積物の最大層厚は40m以上であり、Aso−3・4間堆積物、高遊原溶岩以上の堆積物に覆われる。

本火砕流堆積物は岡田(1978)が10.3±4.2×10年とし、松本ら(1991)は12.3±0.6× 10年を提案し町田・新井(1992)は既往資料を検討し、11〜12×10年としている。後者の年代を採用し、この報告書では12万年として取り扱う。

J 大峰火山噴出物(火砕丘堆積物、高遊原溶岩)

両者は西原村小森の大峰火山(大峯EL.409.0)を給源とする。

高遊溶原岩は白川と布田川の間の高遊原台地をつくり、布田川と木山川間の丘陵地にも広く分布する。

黒灰色の輝石角閃石安山岩であり、輝石、斜長石の斑晶が散在する。一般に塊状、緻密である(写真2−1−11)。

大峯南西斜面の県道脇の露頭は、下から黒色輝石安山岩の溶岩、約30゜で北に傾くラミナの発達するサージ堆積物(厚さ3m)、スコリア薄層を挟む褐〜暗褐色の数枚のローム(単層の厚さ3〜4m)が重畳し分布する。この溶岩部分が高遊原溶岩で、上部は火砕丘堆積物である。この堆積物や溶岩を不整合に厚さ1〜2mの黒色土壌が覆っている。この露頭の北側300mでは不規則な境界を示し、上部がサージ堆積物、下部が輝石安山岩の露頭が分布する。

また、さらに北方の山麓部の道路脇露頭では、安山岩溶岩に多数の褐色化した幅2m以下の変質帯が幅30mにわたり分布する。この変質帯の方向はほぼ布田川断層に平行である。

布田の布田川本川の滝付近では高遊原溶岩が急崖をつくり、最下部には湖成層らしいラミナの発達するシルト層とその直上の固いローム(Aso−2・3間堆積物相当)、白色軽石や岩片を多数含むラミナの発達する堆積物(Aso−3火砕流堆積物に含めた)とAso−3火砕流堆積物が分布し、緩く北側に傾いている。これを覆う高遊原溶岩の最下部の数m程度はクリンカー状である。

西原村土林の布田川左岸の尾根を通る村道付近では、厚さ10m以上の安山岩岩塊を含む泥流堆積物(高遊原溶岩に含めた)が分布し、その上を不整合にAso−4火砕流堆積物が覆う露頭が認められた。

高遊原台地では、杉堂上橋の県道脇の露頭は全て輝石安山岩の溶岩であるが、風化し赤褐色〜暗灰色を呈する。

杉堂付近の布田川右岸では、10度以下の西側に傾く岩片の多いAso−3火砕流堆積物とAso−3火砕流堆積物の15cm程の風化層の上にクリンカー状の輝石安山岩溶岩が分布する。

高遊原溶岩の厚さは70〜100mに達する。 

Aso−3・4間堆積物より上部の堆積物に覆われる。

大峰火砕丘堆積物は大峯を形づくる堆積物で、大峯と大切畑ダム右岸の丘陵以外に分布しない。主に厚さ1m以下の噴石、火山礫およびロームからなり、多くの露頭では成層構造が認められる(写真2−1−12)。

本火砕流堆積物は、松本ら(1991)は9±0.4×10年を提案しているので、本報告書では9万年前とした。

K Aso−3・4間堆積物

白川、木山川間の台地上に分布し、主に礫層からなり段丘を形成する堆積物と谷底に分布しシルト層からなる堆積物がある。

西原村桑鶴付近の緩斜面は角礫が多く、Aso−3火砕流堆積物起源の岩片が多い堆積物である。一部にはラミナが認められる。西原村小森ではローム内に暗赤色スコリアのレンズ状の堆積が散見される。下部には不明瞭なラミナが見られる。

西原村出ノ口付近の緩斜面〜平坦面では、高遊原溶岩の上に角礫層やロームが指交関係を示す堆積物(厚さ2m以上)として分布する。この堆積物にはAso−4火砕流堆積物の礫は含まれないので本堆積物とした。一部はきれいな成層状態を示す。

このような堆積物は西原村河原の南側台地の頂部の平坦面(厚さ6m以上)や土林北西の台地頂部の平坦面にも認められる。前者の露頭で、本堆積物はAso−4火砕流堆積物に覆われる。後者はラミナが発達した砂礫層で厚さは2m以上である。

益城町下陳の中尾の平坦面は風化礫を多く含む角礫層よりなる。

田中〜平田地区南側の台地では、頂部の平坦面にAso−3火砕流堆積物の上に1.5mの厚さでAso−3火砕流堆積物起源の安山岩大礫の円礫を多く含む礫層が水平に分布する。

谷底堆積物であるシルト層は西原村古閑西方と益城町杉堂付近で小規模に分布する。このシルト層は凝灰質で腐植土層を挟む。また、高遊原溶岩とAso−4火砕流堆積物との間に降下した2層の軽石層と2層のスコリア層がシルト層に挟まれる。

最大層厚10m程度である。

L Aso−4火砕流堆積物

調査地域全域に断続的に分布し、木山川右岸の台地では広い範囲に分布する。

灰白色〜淡褐色を呈する細粒〜中粒火山灰で、白色〜灰色の軽石、岩片が含まれ、角閃石が多量に含まれるのが特徴である。一部では表層部に橙色粗粒な軽石が認められる。 西原村小谷付近では軽石の含有率が高い軽石流が認められる。火山灰や軽石には、輝石、斜長石の他に、粗粒の角閃石斑晶が多く含まれる(写真2−1−13)。

風化すると全体的に灰色になり、軽石はつぶれて岩片が目立つようになる。さらに風化が進行すると暗褐色に変色し斜長石と角閃石の斑晶以外はほとんど粘土化している。

西原村葛目の東側斜面で角礫が多く、軽石がやや少ないAso−4火砕流堆積物が厚さ3m程で露頭し、その下にラミナの発達するAso−3火砕流堆積物のサージ堆積物ないし二次堆積物が分布する。

また、同村古閑集落の対岸の露頭では高遊原溶岩、岩片の多い軽石流堆積物やラミナの発達する凝灰質シルト層(両層で厚さ約1.5m)の上に本堆積物が2.5m以上の厚さで分布する。

医王寺付近のAso−4火砕流堆積物には異質岩片が多い。

杉堂付近の布田川左岸の台地にはAso−4火砕流堆積物は異質岩片を多く含む。この付近ではAso−4火砕流堆積物はAso−2火砕流堆積物のスコリア流堆積物を不整合に覆っている露頭が認められる。布田川断層の北側については、旧採石場の法面に深さ約20m、底面幅2mに達するクラックがあり、Aso−4火砕流堆積物が落ち込んでいる。その上部には軽石の中〜小礫よりなるラミナの発達するM2面堆積物が水平に分布する。

平田〜田中地区では小規模に、山裾の小平坦面に分布する。ほとんど軽石からなり、異質な岩片は少ない。田中地区のボーリング調査では、標高−15mまで分布し、Aso−3火砕流堆積物とAso−3・4間堆積物を挟まず直接接している。 

木山川右岸の台地では、Aso−4火砕流堆積物が広く分布する。益城町寺泊の沖積地に近い急崖の露頭ではやや固結し、割れ目が認められるが、断層は観察されない。

本層の最大層厚は40m以上である。

本火砕流堆積物は町田(1983)が7.0×10年とし、松本ら(1991)は8.9±0.7×10年を提案し、町田・新井(1992)は既往資料を検討し、7〜9×10年としている。後者の年代を採用し、この報告書では9万年として取り扱う。

M M2面堆積物(含むAso−4S)

M2面堆積物は布田川と木山川の間の台地、布田川沿いや木山川沿いに断片的に分布し、北甘木台地では断続的に分布し、M2面及びM2'面を形成する堆積物である。

一般的には中〜大礫の亜角礫からなり、Aso−4火砕流堆積物起源の軽石や斜長石、角閃石の結晶を多量に含む礫層である。

本堆積物はAso−4火砕流堆積物を覆っているが、両者の間に土壌化等の長い時間間隙隔を示唆する現象は認められない。このことからM2面堆積物は、Aso−4火砕流堆積直後、あるいはまもなく堆積したものと考えられる。

本堆積物は杉堂付近で良く露頭し、Aso−4火砕流堆積物起源の軽石や斜長石、角閃石の結晶を多量に含む、ラミナの発達した細〜中粒軽石の堆積物であり、Aso−4火砕流堆積物を覆っている。

下陳〜平田地区では空中写真判読で区分したM2面の堆積物は未確認である。しかし、田中地区のトレンチやボーリングで見られるAso−4火砕流堆積物の二次堆積物(Aso−4sと称した)は中〜大礫の円〜角礫と角閃石の結晶や軽石を多量に含む堆積物である。一部はシルトを含む褐色の砂礫層であり、M2面堆積物に含めた。

平田地区のボーリング上部のAso−4sも田中地区のAso−4sと類似し、かつ周辺のL1面堆積物と非常に異なる層相をなすためM2面堆積物とした。

田中〜下陳地区間では、Aso−4sの露頭は確認されなかった。

本堆積物は、Aso−4火砕流堆積物の直後の堆積物であり、大きな時間間隙はないが、Aso−4火砕流堆積物の9万年よりやや新しいものであることを考慮して8万年とした。

N L1面堆積物

本堆積物は白川沿い、布田川沿いや木山川沿いに断片的に分布し、北甘木台地周辺にも分布する。

下陳〜田中地区でのL1面堆積物は平田のAso−2火砕流堆積物内の小規模な地溝の堆積物として認められる。この露頭では本層の厚さが4mで、下部は中礫〜大礫サイズの亜角〜亜円礫よりなり、上部が砂・シルト層よりなり、新しいATnを含む黒色土層に覆われるる。

田中地区の山腹斜面では、安山岩の大礫の亜角〜亜円礫を含む砂礫層である。

福原付近では0.8〜3.5mの大礫が多く亜円礫の多い礫層である。本堆積物は厚さ約1.5mの土壌及びローム層に覆われる。このローム層上部にはATnが含まれる。

西原村布田付近の空中写真判読によるL1面はAso−4火砕流堆積物の上面であり、火砕流堆積物の上部は黒色土壌やロームが分布し、段丘堆積物は確認されない。

本層は年代を特定できる資料はなく、Aso−4火砕流堆積物の9万年からL2面堆積物の2万年の間であり、特に根拠はないが本報告書では5万年とした。

O L2面堆積物

西原村医王寺付近と益城町杉堂、下陳、三竹、福原、赤井付近で空中写真により判読された堆積面である。

医王寺付近では厚さ2m程度の段丘砂礫層である。

杉堂付近では、県道脇の大〜中粒の円礫からなる砂礫であり、厚さは3m程度である。

益城町三竹付近では厚い崖錐堆積物が分布し、本堆積物は確認されなかった。しかし、下陳の金山川の左岸では安山岩の大礫からなる砂礫層よりなり、厚さは2〜3m程度である。

本堆積物の上部にATnが分布するため、本層の堆積年代を2万年程度とした。

P L3面堆積物

L3面は白川沿い、布田川沿い、木山川沿いに断続的に分布する堆積面である。

布田付近の本堆積物はローム層と黒色土壌よりなり砂礫層は確認されない。

木山川左岸の堂園では大〜中礫の亜円礫を主とする礫層が厚さ2m程度分布する。

田中地区では1m程度の礫混りシルトであることがトレンチにより確認された。

Q 沖積層

木山川沿いの低地に分布する。現河道内は砂礫層が分布する。

河川の周辺では益城町ボーリング資料(1985 益城町総合体育館建設地地質調査業務)によれば、木山付近では礫層、砂層、シルト層が3回繰り返す堆積物であり、厚さは23mに達する。最深部の礫層は更新世に相当する堆積物とされ、沖積層は上部の14mが相当する。

同町畑中ではシルト層を上部にもつ3層の礫層よりなり、厚さは約17mである。沖積層の下はAso−4火砕流堆積物で、表層の2mは風化し、粘土化している。

益城町木崎では上部がシルト層、下部がローム質粘土であり、厚さは4.8mである。沖積層の下はAso−4火砕流堆積物である。

津森では礫層からなり、約10mの厚さで、その下にAso−4火砕流堆積物が分布する。

R 時代未詳の扇状地堆積物

本堆積物は葛目川の上流の山麓斜面、大峯の南側の袴野〜出ノ口にかけての緩斜面を構成する堆積物で、先阿蘇火山岩類以降の堆積物からなり、その時代は特定されないものを指す。

葛目川のものは先阿蘇火山岩類の崩壊土砂からできたもので、厚さは5m以上である。

大峯の南側斜面で林道脇の崖錐堆積物は先阿蘇火山岩類の角礫を主としたシルト混じり礫層である。

写真2−1−1 津森層(益城町下陳,金山川右岸)

写真2−1−2 Aso−1火砕流堆積物(西原村秋田)強溶結を示す。黒色のガラスがレンズ状を呈し、岩片を多く含む。

写真2−1−3 Aso−1・2間堆積物(益城町平田)

写真2−1−4 砥川溶岩(益城町砥川) 塊状緻密な安山岩溶岩であり、気泡が見られる。Aso−1・2間堆積物に覆われる。

写真2−1−5 赤井火砕丘堆積物(益城町赤井)赤褐色のスコリアからなり、一部溶結した部分も認められる。

写真2−1−6 Aso−2火砕流堆積物基底部(西原村秋田) 本火砕流堆積物基底部は、緻密な強溶結部(Aso−2)が見られ、細かい流理構造が見られる。

写真2−1−7 Aso−2火砕流堆積物(益城町平田) 火砕流堆積物主部(Aso−2B)。小さな気泡が多く、無斑晶の黒色スコリアを主とする。

写真2−1−8 Aso−2・3間堆積物(益城町平田)

写真2−1−9 岩屑流堆積物(西原村扇ノ坂) Aso−2火砕流堆積物の礫,岩塊を多量に含む。Aso−4火砕流に覆われる。Aso−3火砕流との関係は不明である。

写真2−1−10 Aso−3火砕流堆積物(益城町平田)

写真2−1−11 高遊原溶岩(西原村宮山) 斑晶の多くない輝石角閃石安山岩。本溶岩はAso−3火砕流堆積物を覆い、Aso−4火砕流堆積物に覆われる。

写真2−1−12 大峰火砕丘堆積物(西原村小林)比較的分級が良く、しばしば成層構造がみられる。

M2面堆積物

Aso−4火砕流堆積物

写真2−1−13 Aso−4火砕流堆積物及びM2面堆積物(益城町杉堂)

写真2−1−14 姶良(ATn)火山灰(西原村布田) 正グレーティングを示す。ガラスは透明なバブルウォール型に富む。

写真2−1−15 鬼界アカホヤ(K−Ah)火山灰(益城町小谷)黒褐色土壌中に狭在する。ガラスは淡褐色バブルウォール型に富む。