7−5 見明−塔寺地区の調査結果(精査地区)

本地区は,会津盆地西縁北部断層の中央部に位置し(図7−1),断層は新編「日本の活断層」(1991)では確実度Tとされている。

本地区の空中写真判読図を図7−5−1に,地質図を図7−5−2に,地質断面図を図7−5−3に示す。

本地区では,低位面上の低崖が明瞭であり,主にLAリニアメントとして判読される(図7−5−1)。リニアメントは,山地と盆地との地形境界に沿って,概ね1条,連続良く認められ,その位置に断層が推定される。

断層の西隆起側には,塔寺層及び七折坂層が広く分布し,その構造は概ね水平であるが,断層の近傍200m〜300m区間ではやや急となり,最大30°程度の東傾斜を示す(図7−5−2図7−5−3)。

本地区の北部に位置する会津坂下町見明測線で実施した反射探査結果によると,図7−5−4−1図7−5−4−2に示すように,標高0m付近以深では,盆地側でほぼ水平な反射面は山地側には連続せず,測線中央部付近で不連続となることから,その位置に西上がりの断層が存在することが確実である。断層の上方の標高0m付近以浅,表層部までは,反射面の不連続は不明瞭であり,盆地側の地層がほぼ水平で,山地側の地層が約30°東傾斜の撓曲構造となっており,地表部における塔寺層及び七折坂層の構造と調和的である。反射断面の地表地質との対比から,反射断面で標高0m付近以浅の撓曲を示す地層は,概ね塔寺層に対比され(図7−5−5),断層による地層の切断は,塔寺層には達しておらず,表層部では撓曲変形となっているものと考えられる。反射断面と地表地質との対比から求まるTd−2火砕流堆積物の変位量は約250mであり,同火砕流堆積物の年代を山元(1992b) により約29万年前とすると,平均変位速度は約 0.85m/103年と算出される。ただし,低下側のTd−2火砕流堆積物の位置は正確とは言えず,ボーリングによる確認が必要である。

また,上記の撓曲は CMP番号370 付近で地表に達しており,その位置は上記リニアメントの位置と一致している。

なお,断層隆起側の CMP番号450−CMP番号600間では,地表から深度 50m〜70m付近まで反射面が得られておらず,この区間の地層がその下位の傾斜した地層を不整合に覆っているようにみえる。しかし,地表踏査では,これに対応する地層は認められず,塔寺層及び七折坂層が15°〜25°の東傾斜を示しており,地表の地質構造とは調和しない。

本地区中央部の塔寺付近では,最低位段丘面上の低崖が明瞭であり,前述のように,粟田ほか(1993)は,塔寺においてトレンチ調査を実施し,その結果等から会津盆地西縁断層系の最新活動時期,活動間隔,単位変位量等を報告している(図3−8図3−9)。それによると,塔寺地点の平坦面を高位から塔寺T面,塔寺U面及び塔寺V面に区分し,塔寺T面の年代を寒川(1987)に基づき約3400y.B.P.としている。

本調査でも,同一地点において,粟田ほか(1993)の面区分に従って現地の測量を行った(図7−5−6図7−5−7)。また,各面の形成年代を推定するため,遺跡に関する文献調査を行った結果,塔寺T面上には,縄文中期の松原遺跡(会津坂下町教育委員会,1986)及び縄文前期の経塚遺跡(会津坂下町教育委員会,1992)が分布することが明らかとなり,塔寺T面の年代は縄文前期以前すなわち約6000年前ないし約5000年前以前と推定される(図7−5−6)。

また,粟田ほか(1993)によるトレンチの西隆起側に分布する塔寺T面において露頭が確認され(図7−5−6),同露頭の上部から約9800y.B.P.の14C年代値が得られた(図7−5−8)。粟田ほか(1993)によるトレンチにおいても,断層の東低下側の最下部にも約9200y.B.P.の14C年代値を示す地層が確認されている(図3−8)。この地層と上記露頭の約9800y.B.P.の14C年代値を示す地層とはほぼ同一層準であり,断層を挟んでいることが確実であることから,両者の高度差は断層による鉛直変位量と判断できる。このことから,両者の高度差を検討した結果,その量は鉛直約6mとなり,本地点における約9500年前の地層の鉛直変位量は約6mと推定される。